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新潟地方裁判所長岡支部 平成6年(ワ)164号 判決 1998年3月11日

原告

井上準三

右特別代理人

井上範子

原告

井上範子

外一名

右三名訴訟代理人弁護士

金子修

近藤明彦

被告

日本赤十字社

右代表者社長

藤森昭一

右訴訟代理人弁護士

高橋賢一

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

(主位的請求)

1 被告は、原告井上準三に対し金三〇二二万九〇三六円、同井上範子及び同井上宏に対しそれぞれ金三〇〇万円並びに右金員に対する昭和五九年二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行宣言

(予備的請求)

1 被告は、原告井上準三に対し金三〇二二万九〇三六円、同井上範子及び同井上宏に対しそれぞれ金三〇〇万円並びに右金員に対する平成六年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  被告

主文同旨

第二  当事者の主張

一  原告の請求原因

(主位的請求原因)

1 当事者

(一) 原告井上準三(明治四二年一一月一五日生れ、昭和五九年二月五日当時七四歳、以下「原告準三」という。)及び原告井上範子(以下「原告範子」という。)は夫婦であり、原告井上宏(以下「原告宏」という。)は右両原告の長男である。

(二) 被告は、新潟県長岡市日赤町二丁目六番一号において、総合病院長岡赤十字病院(以下「被告病院」という。)を設置し運営している。原告準三を診察治療した後記2(二)及び(三)記載の医師は、いずれも被告病院の医師であり、被告は右両医師の使用者である。

2 原告準三の症状及び被告病院での診療経過

(一) 原告準三は、昭和五九年二月四日午後二時ころ、新潟県長岡市所在の大手通りのアーケード街を自転車を引いて歩行していた際、突然倒れ、嘔吐したため、自宅に戻ったが、その後も嘔気と頭痛を訴えたことから、同日午後三時ころ、訴外大森勲医師(以下「大森医師」という。)の診察を受けたところ、右医師から、原告準三はくも膜下出血か脳梗塞か脳に関する重大な疾患であり、自分の手には負えないので被告病院に赴き診察を受けるよう勧められた。

(二) しかし、原告準三は日頃から医者いらずという健康体であり、「大丈夫だから。」、「このまま治る。」などと言って、家族の説得を聞かず、大森医師の指示に従うことなく、被告病院に行かなかったが、ようやく翌五日(日曜日)午前九時ころ、原告宏及びその妻である訴外井上富美子(以下「富美子」という。)に連れられて、被告病院の救急外来を訪れ、当日の救急外来担当であった仁田原義之医師(以下「仁田原医師」という。)の診察を受けた。原告宏らは、原告準三とともに診察室に入室し、その際、同医師及び看護婦らに対し、原告準三の頭痛がひどく体がぐったりしていること、大森医師がくも膜下出血か脳梗塞か脳に関する重大な疾患であると診断したことを伝えたが、仁田原医師は、原告準三の症状につき、風邪からくる胃腸炎と診断し、風邪薬の投与と自宅療養を指示するにとどまった。原告宏らは、右診断内容が大森医師の話と異なることについて釈然としないものがあったが、同医師の診断を信用して帰宅した。

(三) しかし、原告準三の症状は一向に改善しなかったため、同月七日朝、原告宏及び富美子に伴われて再び被告病院に行き、内科外来の黒川和泉医師(以下「黒川医師」という。)の診察を受けたが、その際、歩くのがやっとであり、黒川医師の質問に対しても言語不明瞭な応答に終始し、顔色も黒い状態であった。

原告準三らは、右診察においても、仁田原医師と同様に黒川医師に対し、前記(一)記載の大森医師が述べたこと及び原告準三が倒れてからこれまでの容態を詳細に話したものの、同医師も仁田原医師と同様に風邪からくる胃腸炎であると診断したうえ、前回と同一の薬が投与され、自宅療養が指示された。

原告宏らは、右黒川医師の診断についても腑に落ちないものがあったが、仁田原医師とともに、大病院の医師が二人とも同一の診断をしたことに対する信頼と右診断のとおりであって欲しいという家族の気持ちから、右診断に特に異議を述べることもなく、かえって軽い病気に患っているにすぎないと安心して帰宅した。

(四) ところが、原告準三は、その後も自宅で療養し薬の服用を続けたが、その症状は一向に改善せず、頭痛、嘔吐及びぐったりして元気がない状態が続いたことから、同月一〇日午前、再び原告範子及び同宏らとともに被告病院に行き、外来内科担当の金子吉一医師(以下「金子医師」という。)の診察を受け、その際、同月七日に黒川医師に対し申述したことを述べたところ、同医師は脳疾患を疑い、直ちに脳神経外科に回し、脳神経外科による検査の結果、原告準三は前交通動脈に動脈瘤が破裂したくも膜下出血と確定診断された。右くも膜下出血の重症度は、ハント・アンド・コスニックの分類によれば、グレードⅡないしⅢ(以下「グレード」という場合は、ハント・アンド・コスニックの分類によるものをさす。)であり、頭痛や神経麻痺などが相当に進んだ状態であった。

ところで、同月一〇日の外来カルテには、同月三日大手通へ自転車で出ていて突然嘔気・嘔吐・頭痛ありとの記載が、また、同日付け併診依頼には、同月三日に自転車で大手通りへ出ていて急に頭痛、嘔気、嘔吐出現、同月五日救急外来、同月七日当科外来受診、その後嘔気、嘔吐、食欲不振あり、後頭部から頸部の疼痛激しいとの記載が、さらに、同月一〇日入院時のカルテには、同月四日自転車に乗って急に頭痛、めまい、嘔気があったこと、家で嘔吐があったこと、大森医師の往診を受け、クモ膜下出血なので日赤へ行けと言われた、同月五日当院救急外来、内科医診療、風邪として処置、頭痛不変との記載があるが、右記載は原告準三及び同宏らが仁田原医師及び黒川医師に対し訴えた診察の経緯と一致している。

(五) 原告準三は前記(四)のようにくも膜下出血と確定診断されたことから、被告病院は、原告準三に対し、同日午後八時ころから翌日午前三時ころまで、脳外科担当の外山孚医師(以下「外山医師」という。)の執刀により、緊急の開頭手術を実施したが、外山医師は、右手術に先立ち、原告宏らに対し、手術が成功しても、聴覚、知覚、味覚が麻痺するかもしれず、また下半身の左右のどちらかに麻痺が残り、精神症状の発症する可能性のあることを告知した。

3 その後の原告準三の症状

(一) 右開頭手術は成功し、原告準三は神経学的には回復したが、手術を受けた後から、精神機能の低下が顕著となり、聴力はほとんど零、人の区別は不能、ボケ症状という痴呆の症状が現れ始め、同年三月三一日、被告病院を退院し、同年四月一三日に訴外田宮病院(以下「田宮病院」という。)に入院した後は、菓子を次々と食べたがる、ガス台に炭火を入れたり、昔のことを口きらずに話そうとするなど痴呆がひどく介護を要する状態となった。

(二) さらに、原告準三はその後、発熱と精神症状の悪化が進行したため、同年八月一三日、再び被告病院に入院し、脳外科手術を受け、同年一一月七日退院したが、その後、再び田宮病院に入院し、自宅に外泊する際は、夜中に寝ず、一日に三〇回程度トイレに行く、与えられれば与えられるだけ食べるなどの重度の痴呆症状が出ており、常時介護がなければ生活できない状況にあり、前記症状が慢性化した。

4 くも膜下出血の病理機序、治療法

(一) くも膜下出血は、くも膜下を走る動脈分岐部に広範囲にわたり中膜欠損及び内弾力板断絶が生じ、そこに血流の負担が加わり、血管壁が延びて薄くなりついに出血に至る病態をいう。その原因の八〇パーセントは脳動脈瘤の破裂であり、その好発部位は内頸動脈(特に後交通動脈との分岐部)及び前交通動脈、ついで中大脳動脈分岐部である。

(二) 脳動脈瘤が破裂し、くも膜下出血が発症し、くも膜下腔に血液が充満すると、頭蓋内圧は急激に上昇し、その結果、脳血流が低下し、脳は虚血性障害をこうむりやすくなる。また、時に脳動脈瘤の破裂は、くも膜下出血に留まらず、脳内血腫、脳室内血腫を形成することがあり、さらに右出血による血腫によりくも膜下腔が閉塞され、髄液の吸収路に詰まると急性水頭症が起こり、さらに交通性正常圧水頭症をきたすと頭蓋内圧の亢進はいっそう拍車がかかり、何らかの処置を行わないと意識障害が進行し、予後不良となることが多い。また、脳内血腫が形成されると、血腫の形成部位に応じた巣症状(片麻痺、言語障害、精神症状など)を呈することが多く、一般に脳動脈瘤破裂は死亡ないし重篤な後遺症を残す危険性が高い。

(三) また、脳動脈瘤破裂後にみられる症状の悪化の原因としてもう一つ重要なのは、脳血管攣縮であり、その病態は初回発作後四ないし一四日目の間に生じ、脳は虚血状態に陥り、片麻痺や意識障害が出現し、重篤な場合には死に至る。

したがって、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血における治療は、①脳動脈瘤の再破裂の防止、②頭蓋内の病態(脳内、脳室内血腫、水頭症など)の治療及び③脳血管攣縮の予防と治療にある。

(四) くも膜下出血の特徴的な臨床症状は、突発的で今までに経験したことのない激しい頭痛とそれに伴う嘔吐であり、さらに神経学的に項部硬直の存在があれば臨床判断が可能であり、CT検査で脳底槽やクモ膜下腔に血腫(血塊)を証明すればその診断が確定する。

(五) そして、くも膜下出血の治療は、急性期では脳神経外科(脳外科的手術)で治療されるものがほとんどであり、特に重症でない限り(グレードⅠないしⅢ)できるだけ早期に手術し、再出血を予防し、脳底部髄液槽の血塊を除去して脳血管攣縮の発生を防ぐというのが一般的である。

5 被告病院の過失

(一) くも膜下出血の診察の遅れ

(1) くも膜下出血の臨床症状の特徴の一つは、前記4(四)記載のとおり、今までに経験したことのない激しい頭痛であるが、これは脳動脈瘤が本格的に破裂した際の症状であり、右頭痛が特異的に必ず起きるわけではない。実際の診療現場では頭痛の程度はさまざまであり、軽度の頭痛が数日間続くといって外来を訪ねる例も少なくない。

また、くも膜下出血は他の脳血管障害と異なり、明らかな麻痺を欠如することも多く、唯一の症状である頭痛も患者自身は単なる風邪程度にしか考えていない場合が多く、特に老人の場合は、痛みの閾値が高く、激しい頭痛を訴えないこともあるから、軽い頭痛の場合でも脳血管障害に留意すべきであって、よく問診し、頭痛が始まった経緯や頭痛の程度や変遷を充分に聞き出すべきであり、詳細に問診してみると、脳動脈瘤の本格的破裂の前に頭痛や眩暈の発作が見られることもあり、また頭痛の部位は動脈瘤の部位に一致することが多い。

(2) そうすると、診断の際には、今までに経験したことのない激しい頭痛の場合はもちろんのこと、それ以外の頭痛の訴えの場合でも、その部位、他の所見、例えば眩暈、嘔吐、嘔気、項部硬直、ワーニングサインなどの髄膜刺激症状等に注意して詳細な問診や検査をすべきである。

(3) そして、くも膜下出血が疑われた場合、CT検査、腰椎穿刺で再度確認し、くも膜下出血の診断がでた場合は、一刻も早く専門施設に転送することが治療の第一選択である。

(4) 本件において、原告準三には、昭和五九年二月四日の段階で、脳動脈瘤破裂により発生したくも膜下出血と脳血管攣縮が生じていたと思われるところ、原告宏らは、同月五日と同月七日、被告病院の仁田原医師及び黒川医師に対し、原告準三の頭痛がひどいこと、体がぐったりしていること、大森医師がくも膜下出血か脳梗塞か脳に関する重大な疾患であると診断したことを伝え、また、同月五日のカルテには、①昨日後頭部及びその周辺に疼痛、②嘔気、嘔吐三回(今朝嘔気、嘔吐なし)、③高血圧(一七二/八〇)との記載があり、また、同月七日のカルテには、①後頭部痛、頸部痛、②昭和五九年二月四日より嘔吐三〜四回、③高血圧(一六四/八六)との記載があるとおり、原告準三には、診察の際、後頭部や頸部の痛み、嘔吐、嘔気を訴え、くも膜下出血を疑わせる症状は出ていたのである。そして、頭痛を訴えていた部位である後頭部、頸部は本件において実際に動脈瘤が発見された前交通動脈に近い部位である。

このように、原告準三及び同宏らは担当医師に対し、くも膜下出血の臨床症状である軽度の頭痛、患者自身が風邪程度にしか考えない頭痛、嘔吐、嘔気を継続して訴えており、また、高齢者の場合、高血圧も脳血管障害の要因となりうるのであるから、当然クモ膜下出血を含めた脳血管障害を疑うべきであり、さらに髄膜刺激症状(項部硬直、ケールニッヒ徴候など)などについても所見をとるべきであった。そして、右項部硬直を調べるネックスティッフネス検査やケールニッヒ検査は極めて容易にできる検査である。

(5) しかるに、昭和五九年二月五日及び同月七日における被告病院の両担当医師は、脳血管障害を疑わず、項部硬直に関する検査もせず、漫然と感冒からくる胃腸炎の疑いと誤診し、もってくも膜下出血を見逃した。

(二) 早期手術の遅れ

(1) 昭和五九年当時における医療水準によれば、脳動脈瘤が破裂した場合、外科的治療を施さず放置すれば、再破裂や脳血管攣縮による悪化が進行し予後不良となるから、患者を守るためには全症例につきできるだけ早期の手術(急性期手術)が必要であり、右手術が最も有効な治療手段であるとされていた。

(2)① たしかに、文献によれば、脳動脈瘤の再破裂の防止のために早期手術がよいのか待機手術が良いかについては争いがあり、初期のころ、早期手術の成績の悪さから一時期待機手術が常識となったが、手術待機中いかに絶対安静や血圧コントロールなどを行っても再破裂を完全に防止することは不可能であり、待機中に脳血管攣縮によって後遺症を残したり死亡する症例が少なくなかったため、早期手術が最良の方法と考えられるようになり、昭和五四年から同五七年の医学論文によれば、診断技術の向上、手術法の進歩などにより、早期手術の成績が著しく向上し、その結果早期手術の有効性が日本で広く認められるようになった。

また、医学大辞典においても、状態の良い症例(グレードⅠないしⅢまで)では、できるだけ早く手術を行うのが妥当なところであるとされ、昭和六一年ころ発表された国際協同調査でも、手術死亡は七ないし一〇日目の手術で特に高いが、それ以外の日ではいつ手術を施行しても成績には差がなく、したがって、術前の状態が良好ならば、早期手術を行うことは妥当であろうと結論づけている。

さらに、本件臨床医の外山医師も昭和五九年ころ大勢としては急性期手術に傾いていたと証言している。

② 脳動脈瘤破裂後にみられる病態である脳血管攣縮の予防についても、脳血管攣縮の発現の最も重要な因子は、くも膜下の血腫(赤血球)が溶血することによって放出されるオキシヘモグロビンなどの攣縮誘発物質であろうと考えられているところ、溶血が進行するのは出血後三日目ころからであり、したがって、溶血が開始される以前の急性期に開頭手術によりくも膜下血腫をできるだけ除去することが脳血管攣縮の予防策として理にかなった方法である。

そうすると、このような脳動脈瘤破裂の初期の段階では、早期に手術すべきであって、特に脳血管攣縮の予防のためには出血後三日以内にくも膜下の血腫の溶血が進行する前にくも膜下血腫をできるだけ除去することが必要であった。

③ さらに、本件と同じ前交通動脈瘤の実際の手術成績からみても、グレードⅢ、Ⅳについてみると、当日ないし二日の間に手術を行うと社会復帰例が多く、早期手術が有効であることが証明され、また、早期手術によっても恒久的神経脱落症状を来した者は、一〇パーセント程度にすぎず、早期手術の有効性は認められる。

④ 原告準三は、本件事故当時、七五歳の高齢者であったが、訴外杏林大学教授斉藤勇医師の前交通動脈瘤の手術結果によれば、六〇歳未満と六〇歳以上の患者を比較した場合、くも膜下出血後〇ないし二日の手術においてグレードⅠないしⅡでは差は見られず、グレードⅢないしⅣでは有意差があるとされている。

(3) ところで、前記原告準三の状態は、昭和五九年二月一〇日当時グレードⅡないしⅢであったことから、それ以前の同月五日または同月七日の段階における重症度は、前記グレードより軽度ないしは同等であったと推測され、早期手術が適応していたことは明らかであり、もしその時点で適切な外科手術を受けていれば、六〇歳未満の者と遜色のない手術結果が望めたはずである。

(4) そうすると、本件においては、被告病院の担当医師が適切な診察により臨床症状を的確に把握し、くも膜下出血を疑い、直ちに専門医の診断を受けていれば、原告準三は比較的軽度な段階で早期手術を受けることができ、右手術により、脳内血腫の形成や脳血管攣縮を防ぐことができ、精神症状の発生を防げたはずである。

(三) 前記(一)および(二)の各事実によれば、本件では、昭和五九年二月五日及び同月七日、原告準三が激しい頭痛と嘔吐を訴えていることから、被告病院の両医師は、右自覚症状からくも膜下出血を疑い、直ちに脳外科に回す等の措置をとるべき義務があったにもかかわらず、それを怠り、不十分な診察のままそれを見逃して風邪からくる胃腸炎と誤診し、結果として、原告準三のくも膜下出血を放置し、精神症状(脳血管性痴呆)を発生させた。

このように被告病院は、原告準三の自覚症状などから、くも膜下出血を疑い、直ちに脳外科に回す等の措置をとり、早期手術を行うべき義務があったにもかかわらず、それを怠り、精神症状を発生させたのであるから、被告は原告準三に対し不法行為責任を負担する。

6 被告によるくも膜下出血診断の遅れ及び早期手術の懈怠と原告準三の精神症状の発生との因果関係

(一) 原告準三は、昭和五九年二月四日に脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血、脳血管攣縮により精神機能が障害され、本件精神症状が発生したのであり、同月一〇日に実施されたくも膜下出血の手術における脳ベラによる前頭葉の圧排や直回の一部除去による精神症状は一過性のものであり、原告準三の精神症状の原因とみることはできない。

また、文献によれば、精神症状をきたす脳機能障害の原因はくも膜下出血、脳血管攣縮、手術などのどこにあるのかを調査する必要があるところ、高齢からくる脳の脆弱性や予備能力の低下を右原因として挙げていないばかりか、高齢者の転帰不良例の分析によると、一次侵襲からの回復力の不良が準高齢者群と比較しても多い傾向にあり、高齢者の脳及び全身臓器の予備能力及びその回復力の低下が示唆されるなど、脳の回復力はあくまでも一次侵襲(くも膜下出血などの一次的な脳に対する侵襲)との兼ね合いであり、このことは早期手術によって速やかに侵襲状態を除去すれば回復可能性が高くなることを示している。

そうすると、高齢からする脳の脆弱性や予備能力の低下は、精神症状発生の一種の背景的要因に過ぎず、それ自体が直接の原因となるものではなく、精神症状発生の直接的要因は脳内出血や脳血管攣縮などの脳機能に対する直接的な侵襲によるべきものといえる。

(二) 前交通動脈瘤の手術の合併症として、①精神機能の低下と情動面の変化、②運動機能・言語障害などの身体的機能の障害、③視力視野・眼球運動障害など脳神経障害があり、特に①が著しく多い。特に強い精神症状を残す要因としては、①動脈瘤の方向が上向きないし側方向、②手術法が前交通動脈瘤をトラッピングする形の場合、③くも膜下出血後、術前にすでに精神症状を呈している場合、④前頭葉などが両側性に損傷されている場合があるとされる。

(三) しかし、本件のような前交通動脈瘤の手術の場合に発生する精神症状は、時間の経過とともに軽快するものであり、仮に残存する場合にも生活に支障を与えるほどの精神症状の残存は比較的少なく、本件のように永久的に強い精神症状が残存するのは極めて例外的である。

(四) そして、本件のような脳動脈瘤破裂の初期の段階では、前記のとおり早期に手術すべきであって、特に脳血管攣縮の予防のためには出血後三日以内にくも膜下の血腫の溶血が進行する前にくも膜下血腫をできるだけ除去することが必要であるから、昭和五九年二月五日又は同月七日に、くも膜下出血を含めて脳血管障害を疑っていれば、早期手術により、脳内血腫の形成や脳血管攣縮を防ぐことができ、原告準三の精神症状は発生しなかったというべきである。

7 原告らの損害

(一) 原告準三の損害

① 逸失利益

金一〇二二万九〇三六円

原告準三は、本件手術以後、精神に著しい障害を残し、随時介護を要する状態となり、自賠法施行令二条の後遺障害別等級表の第二級四号身体障害者として、労働能力を一〇〇パーセント喪失した。

原告準三の症状は遅くとも昭和五九年一一月七日、七五歳の時に固定したと思われるから、四年間は就労可能であり、その間昭和五九年の賃金センサス男子労働者学歴計による平均年収である二八七万〇一〇〇円の年間収入を得ることが可能であった。

これをもとに、新ホフマン係数を用いて中間利息を控除すると、原告準三の得べかりし利益の本件事故当時の現価は、一〇二二万九〇三六円となる(287万0100円×3.564×1(100パーセント)=1022万9036円)。

② 慰謝料 金二〇〇〇万円

原告準三は本件医療過誤により重篤な後遺症を負った。

これに対する慰謝料は二〇〇〇万円とするのが相当である。

(二) 原告範子及び同宏の慰謝料

各金三〇〇万円

原告範子及び同宏は、本件医療過誤により原告準三が前記のように精神症状を発症したため、介護を要することになり、生命侵害に比すべき大きな精神的苦痛を被ったが、これに対する慰謝料は、それぞれにつき三〇〇万円を下ることはない。

8 まとめ

よって、主位的に不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、被告に対し、原告準三は金三〇二二万九〇三六円、同範子及び同宏はそれぞれ金三〇〇万円、並びに、右各金員に対する本件不法行為の後である昭和五九年二月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう請求する。

(予備的請求原因)

1 主位的請求原因1ないし4、同6及び7と同じ

2 債務不履行責任

(一) 主位的請求原因5(一)及び(二)と同じ

(二) 本件では、昭和五九年二月五日及び同月七日、原告準三が激しい頭痛と嘔吐を訴えているにもかかわらず、被告病院の両医師は、右自覚症状からくも膜下出血を疑い、直ちに脳外科に回す等の措置をとるべき義務があったにもかかわらず、それを怠り、不十分な診察のままそれを見逃して風邪からくる胃腸炎と誤診し、結果として原告準三のくも膜下出血を放置し、精神症状(脳血管性痴呆)を発生させた。

このことは、原告準三と病院との診療契約に違反するものであり、被告は債務不履行責任を負う。

3 損害

(一) 主位的請求原因8(一)と同じ

(二) 原告範子及び同宏の慰謝料

原告範子及び同宏は、本件医療過誤により原告準三が前記のように精神症状を発症したため、介護を要することになり、大きな精神的苦痛を被ったが、右損害は原告準三に対する債務不履行から生じた拡大損害に該当する。

右精神的苦痛に対する慰謝料は、それぞれにつき三〇〇万円を下ることはない。

4 まとめ

よって、予備的に債務不履行に基づく損害賠償請求権に基づき、被告に対し、原告準三は金三〇二二万九〇三六円、同範子及び同宏はそれぞれ金三〇〇万円、並びに、右各金員に対する訴状送達の日の翌日である平成六年九月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう請求する。

二  請求原因に対する被告の答弁及び被告の主張

1(一)  主位的請求原因1(一)は不知。同(二)は認める。

(二)(1)  同2(一)は不知。

(2) 同(二)のうち、原告準三が昭和五九年二月五日(日曜日)、被告病院の救急外来で診察をうけたこと、診察を担当した被告病院の仁田原医師は感冒の疑いとの診断をし、風邪薬(PACPB、院内総合感冒薬)を投与して自宅療養を指示したことは認めるが、その余は否認ないし不知。

昭和五九年二月五日の救急外来受診の経緯は次のとおりである。

① 原告準三は、同日午前一一時三五分すぎころ、被告病院の救急外来を訪れ、担当の仁田原医師の診察を受けたが、右診断に際し、原告準三は処置室に一人で入ってきたものであり、意識は清明であり、その訴えは、「昨日(二月四日)後頭部及びその周辺に疼痛」があり、「嘔気と嘔吐が三回」あったが、「今朝(同月五日)には嘔気と嘔吐はない。」というものである。

原告らが主張する「頭痛がひどくぐったりしていた」ということはなく、また担当の仁田原医師も看護婦も原告宏から大森医師の話は全く聞いていない。

また、仁田原医師は、原告宏らとは会っていない。

② 右診断の際に作成された内科外来カルテの記載からすれば、原告準三からは、仁田原医師に対し、くも膜下出血特有の「突発的でこれまで経験したことのない激しい頭痛があった。」とか、「大森医師がくも膜下出血か脳梗塞等脳に関する重病に違いないと診断した。」との申告はなかった。

仮にそのような訴えをしていれば、救急外来の受付記録及びカルテにも当然にその旨が記載され、さらに検査や脳神経外科医を呼ぶなど慎重な診察や検査を当然行えたはずである。

また、原告らが主張するような大森医師の紹介によるものであれば「大森医師紹介」などと右受付記録に記載されるはずである。

③ 原告準三は、右診察の結果、握力の左右差はなく、正常であって、体温は三七度の微熱で、咽頭に発赤が認められ、血圧が最高値一七二、最低値八〇、他に異常所見は認められなかった。

④ そこで、仁田原医師は、右所見に照らし、原告準三に対し感冒の疑い及び高血圧症と診断して、経過観察をするということで処方した総合感冒薬(PACPB)を投与し、翌二月六日(月曜日)の内科外来受診を指示し、具合が悪くなったらすぐ受診するように言って、自宅療養を指示したのである。

⑤ 原告準三が、原告らが主張するように、二月四日に大森医師の往診を受け、脳に関する重大な疾患があり、直ちに被告病院に行くよう勧められたというのであれば、その時点で、救急車を呼ぶなどして受診すべきところ、原告準三らは、自宅から約一六〇メートルしか離れていない近隣の被告病院を訪ねることもなく、体調の異変を訴えてから約二〇時間も経過した翌五日午前一一時三五分ころ、しかも多くの医療業務従事者が休みとなる日曜日に被告病院を訪ね、また、仁田原医師の前記診断に対し、脳の検査を依頼することもなく納得して帰宅したのか疑問である。

以上、原告準三らの受診までの行動に鑑みると、原告らには何ら事の重大さを感じさせるような行動は全く認められず、そうすると、当時、原告準三の症状はさして重篤ではなく、原告らとしても風邪程度の軽い症状と考えていたと推測しうる。

(3) 同(三)のうち、原告準三が同月七日に黒川医師の診断を受けたこと及び同医師は感冒の疑いと診断したことは認めるが、その余は否認する。

同日の救急外来受診の経緯は次のとおりである。

① 原告準三は、前記(2)④記載のとおり、仁田原医師の指示に従わず、翌六日に診察を受けることなく、同月七日になって被告病院において、黒川医師の外来診察を受けたが、その際、同人は付添人などに抱えられることもなく、一人で年齢に応じた普通の歩き方で診察室に入ってきたのであり、右診察の際も、言語は明瞭で、歩行やベッドの寝起きなどの挙動も正常であり、頭痛や他の症状に伴う苦悶様顔貌は見られなかった。

また、同人は、右診察の際、頸部痛に関し、「今年は雪仕事が多かった。」などと述べている。

② 黒川医師は、原告準三及び同宏から、右診察中、大森医師からの指示、原告準三が倒れた経過や突発的でこれまで経験したことのない頭痛があったことなどの話は聞いていない。

仮に、原告準三らが主張するように、黒川医師に対し右経過や症状を話したとするならば、当然にその旨がカルテに記載されるところ、カルテには、頸部痛の原因と思われる事柄である「今年は雪仕事が多かった。」ということについて記載があるにすぎず、大森医師の指示や原告準三の倒れた経緯などについては何ら記載がない。

③ 黒川医師が、原告準三を診察したところ、血圧の最高値は一六四、最低値は八六、後頭部痛及び頸部痛があり、嘔吐は二月四日以降三、四回あった(但し、二月四日に、前記(2)①のとおり、すでに三回嘔吐があったとのことであったから、その後の嘔吐は一回程度となる。)が、胸部X線、心電図、貧血、肝機能、コレステロールその他一般検査したところ、異常の所見は認められなかった。

さらに、黒川医師は、原告準三が高齢であり、高血圧症を有することから、感冒に関する諸検査のほかに、動脈硬化に伴う心臓血管障害、脳血管障害等に関する諸検査を行ったが、その全身状態、精神状態とも特別の異常はなく、また二月四日以降の症状の悪化、増悪は認められなかった。

④ 黒川医師は、原告準三からは、突発的でこれまで経験したことのない頭痛の訴えや大森医師からの指示を何ら聞いていなかったため、前記診察の内容及び二月四日以降の症状から、仁田原医師と同様にまず感冒を疑い、さらに上気道炎(咽頭発赤)の他に胃腸炎を合併しつつあること、また、高血圧を認め、また雪仕事による筋肉痛も疑った。

そして、黒川医師は、仁田原医師がすでに総合感冒薬(PACPB)を投与していることから、胃腸炎に対するものとして、コランチル(胃炎治療剤)、ガストロピロール(消化不良、胃炎等治療剤)、ラックB(整腸剤)を、高血圧に対しフルイトラン(利尿降圧剤)の内服薬を、筋肉痛に対しゼラップ(筋肉痛消炎、鎮痛剤の塗布剤)を投与し、自宅安静のうえ経過観察することにした。

(4) 同(四)のうち、原告準三は、同月一〇日、被告病院の金子医師の診断を受け、腰椎穿刺の検査をした結果、髄液が血性であったことから、くも膜下出血(SAH)の診断がなされ、その重症度としては、グレードⅡないしⅢと推定されたこと、原告準三が脳神経外科に直ちに転科されたことは認めるが、その余は否認する。

同日の内科外来受診の経緯は次のとおりである。

① 原告準三は、右同日に再度被告病院の内科外来において、金子医師の診察を受けたが、右受診時において、原告準三には嘔気がまだ少々あり、頸部から後頭部にかけての範囲に疼痛があるなど、症状の継続が認められたことから、病歴を問い質したところ、原告準三は初めて、二月四日に大手通へ自転車で出ていたところ、突然嘔気と嘔吐や頭痛があったことを説明した。

そこで、診断の結果、原告準三においては、四肢の運動に制限はなかったが、瞳孔左右同、対光反射正常、頸部(項)部硬直±、胸腹部異常なく、浮腫(一)、深部腱反射全体的に低下、反射左右差(一)、病的反射(一)の所見であった。

② そこで、金子医師は、脳血管障害を疑い腰椎穿刺を行ったところ、初圧が三五〇mmH2で四mlを抜き二〇〇mmH2となったが、髄液は血性であったため、くも膜下出血の疑いと診断し、直ちに原告準三を脳神経外科に転科させた。

③ 脳神経外科の検査では、血圧最高値一三二、最低値七八、脈拍七二、意識清明、神経症状やや反応が鈍く、瞳孔左右同、対光反射左右とも遅く、眼底出血(一)、頸部硬直(一)、ケルニッヒサイン+(髄膜刺激により出現し、髄膜炎に特有な一症状。患者の下肢を伸ばしたまま上に上げて、躯幹に近づけると痛みのため顔をしかめ、反射的に下肢が膝関節で屈折する現象)、フォーカル・サイン(巣症状。種々の機能が局在する大脳皮質の障害部位によって一定の症状を呈するもの。)なし、脳動脈瘤患者の重症度としては、グレードⅡないしⅢと推定された。右のようにグレードを推定した根拠は、原告準三の意識は清明であったが反応が鈍いことから、その点の精神症状があると評価すれば、グレードⅢに相当し、当時七四歳という年齢からして、その程度の反応はやむをえないものと考えればグレードⅡ程度に相当するものと考えられたからである。

さらに、頭部のCT検査、脳血管撮影(CAG)及び椎骨動脈撮影(VAG)を行った結果、脳底の大脳動脈輪(ウィリス輪)部の右A1A2結合部(前大脳動脈の水平に走るA1部と大脳間裂を垂直に走行するA2部の結合部)に左後上方向きのドームをもつ動脈瘤の存在が推定された。

(5) 同(五)のうち、原告準三は、外山医師の執刀により開頭手術を受けたこと(ただし、手術時間は、同日午後七時五分から翌午前零時四〇分である。)及び右手術は成功したことは認めるが、外山医師が手術前に「聴覚、知覚、味覚が麻痺するかもしれない。」旨話したことについては争う。

右麻痺がでる部位の疾患ではないから、脳神経外科医が右のような話をするはずがない。

脳神経外科での手術の経緯は次のとおりである。

① 前記のとおり、原告準三には脳動脈瘤の存在が認められたことから、被告病院は、脳外科医師の外山医師の執刀により、右前頭側頭開頭法による動脈瘤結紮術(クリッピング)及び硬膜形成術の緊急手術を行ったが、右手術を行うに際し、外山医師は、原告宏ら家族に対し、原告準三の症状がくも膜下出血で、動脈瘤破裂による出血であること、再出血防止のため手術が必要であること、さらに動脈瘤の方向が左後上向きと難しい方向にあって、そのため術後に精神症状が出る恐れがあること、その他の合併症について説明したうえ、手術の承諾を得た。

② 外山医師は、右手術において、動脈瘤の向きが左後上方向きのため、動脈瘤の頸部を露出するために、右前頭葉底面内側の直回の一部を吸引除去し、その結果、動脈瘤は前交通動脈(ACO)に認められ、これをクリッピングして右手術は成功した。

(三)(1)  同3(一)のうち、開頭手術は成功し、原告準三は神経学的には回復したが、手術後から精神機能の低下が認められ、ボケ症状が生じたこと、同年三月三一日に被告病院を退院したこと、同年四月一三日から田宮病院で入院加療したことは認めるが、原告準三の聴力が殆どゼロ、人の区別不能の点については否認する。

原告準三の症状は次のとおりである。

① 原告準三には聴力はあるが、ボケ症状のため、外部からの呼びかけなどに対する反応はできず、第三者からは聴力がないように受けとられたにすぎない。

また、原告準三は、医師、看護婦等の区別はできていたのであり、人の区別は不能ではなかった。

② 原告準三は、手術後の同月一一日から、傾眠傾向であったが、時々大声を出して騒ぎ、失見当識が認められ精神症状が出現した。

また、同月一三日にCT検査の結果、右頭頂葉、前頭葉に低吸収域があり、脳血管撮影で、脳血管攣縮(脳血管破裂後にみられる血管が正常の五〇パーセント以下に細くなる現象であり、くも膜下出血後四ないし七日ころに発生し、二週間位続く)が認められたため、これに対処する治療を行ったが、原告準三の精神症状は、症状が固定したことから、同年三月三一日被告病院を退院した。

(2) 同(二)のうち、同年八月一三日から被告病院に再入院し、脳外科手術を受けたこと、同年一一月七日被告病院を退院し、再び田宮病院に入院したことは認めるが、再入院の理由は否認し、現在の原告準三の症状については知らない。

原告準三が被告病院に再入院したのは、田宮病院に入院中に行われた長岡祭のため外泊した際、同年八月二日、被告病院の脳外科外来で受診し、CT検査を受けたところ、脳室拡大と脳室周囲の低吸収域が認められ、正常圧水頭症(NPH)の疑いがあったため、同年八月一三日に被告病院に入院することとなり、同月二三日にV・Pシャント術(脳室―腹腔シャント術)を施行したものであり、発熱と精神症状の悪化が進行したことによるものではない。

(四)  同4は認める。

ただし、同(三)のうち、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血における治療として例示されている治療方法は、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の場合に限るものではなく、原告が引用する文献によれば、破裂脳動脈瘤の場合における治療とされている。

ところで、くも膜下出血の臨床症状の特徴は、医学文献並びに被告病院の外山医師及び黒川医師の所見によれば、原告の主張する突発的で今までに経験したことのない激しい頭痛とそれに伴う嘔吐という例を含めて、次のような診断基準があるとされる。

(1) まず、脳血管障害に関する文献によれば、くも膜下出血の診断基準として、①突発する激しい頭痛(嘔気、嘔吐を伴うことが多い。)、②髄膜刺激症状(項部硬直、ケルニッヒ症候など)陽性、③局所神経徴候をみることは少ない(ただし、動眼神経麻痺を呈することがある。)、④発症時に意識障害をきたすことがあるが、しばしば一過性である、⑤血性髄液、⑥網膜前出血という六つの基準が挙げられ、また、くも膜下出血の診断と治療においては、今までに経験したことのない激しい頭痛が突発するのが特徴的とされ、これに項部硬直やケルニッヒ・サイン等の髄膜刺激症状や嘔吐が加わることが多く、また、臨床医学示説では、本格的破裂では、突然それまで経験したことのない激しい頭痛や嘔気に襲われ、意識喪失、項部硬直、局所脳神経症状を伴うとある。

このように突然のこれまで経験したこともない激しい頭痛とそれに伴う嘔吐、さらに神経学的に項部硬直の存在があれば、くも膜下出血の臨床診断はつくし、CT検査で脳底槽やくも膜下腔に血腫を証明すればその診断は確定するのである。

(2) また、臨床医の外山医師は、臨床的にくも膜下出血との疑いを持つ症状として、一般的には、今までに経験したことのない激しい頭痛が急激に起きることを挙げ、前記くも膜下出血の診断基準の①ないし⑥のうち、臨床医的に重要なものは、①突発する激しい頭痛、③局所神経徴候をみることは少ない、④発症的に意識障害をきたすことがあるか、しばしば一過性であるかという点にあると証言し、さらに、黒川医師も、くも膜下出血の臨床所見として、突発的でこれまで経験したことがない激しい頭痛があること、嘔吐及び項部硬直であるとする。

(3) 前記文献及び臨床医の見解によれば、くも膜下出血の最大かつ最も重要な特徴は、突発的で今までに経験したことのない激しい頭痛であり、これに伴って嘔吐や項部硬直あるいは一過性の意識障害といったものが臨床所見としての診断基準として挙げられることになる。

(五)(1)① 同5(一)(1)のうち、くも膜下出血の臨床症状例として、軽度の頭痛が数日間続くといって外来を訪れる例も少なくないとの点については否認し、その余は認める。

くも膜下出血の臨床例として、軽度の頭痛が数日間続くことから、外来を訪れるという例は非常に少なく、被告病院では、年間約七〇例前後のくも膜下出血の患者が訪れるが、外来で右症例を発見するのは年に一例程度であり、他は、「今までに経験したことのない激しい頭痛の突発」により救急外来にかつぎ込まれた症例である。

また、頭痛も患者自身は単なる風邪程度にしか考えていない場合も決して多くはなく、脳動脈瘤の本格的破裂の前に、頭痛や眩暈の発作(ワーニングサイン)がみられるのは、むしろ希れであり、全例にワーニングサインがあるとはいえない。

② 同(2)は争う。

原告準三は、二月四日に発作を起こし、脳動脈瘤が破裂したことが明らかであるから、右破裂前のワーニングサインに注意せよとの主張は失当である。

仮に、破裂前でのワーニングサインが認められたとしても、その時点では動脈瘤は破裂していないから、CT検査や腰椎穿刺を実施してもくも膜下出血を発見することはありえない。

さらに、原告準三は、二月五日及び七日のいずれの時点においても、二月四日における頭痛と嘔気または嘔吐の症状を訴えただけで、原告らが主張するような他の症状がなかったのであるから、結局頭痛の程度(強さ)と急激な発症があったかどうかが問題である。しかるに、本件では、原告準三からは二月五日及び同月七日の診察の際には、今までに経験したことのない激しい頭痛の突発という訴えはなかった。

③ 同(3)は認める。

④ 同(4)のうち、原告ら主張の記載が二月五日及び同月七日のカルテにあること、嘔吐、嘔気がくも膜下出血によくみられる症状であることは認め、その余は否認ないし争う。

二月五日及び同月七日のカルテには、くも膜下出血の最も重要な特徴である突発的で今までに経験したことのない激しい頭痛は何ら記載はなく、ましてこれに伴う項部硬直や一過性の意識障害の記載はない。

原告準三は、同月四日の発作の時点で、後頭部や後頸部は最も遠い部位にある前交通動脈瘤が破裂したのであり、同月五日以降の臨床経過及び同月一〇日の手術前のCT検査の際、血液が吸収され、脳室に逆流した血液を若干認めたにすぎず、くも膜下出血の所見はすでに認められないことからすると、同月四日後に再破裂をした事実はない。

⑤ 同(5)は争う。

少なくとも同月五日及び七日の時点では、原告準三にはくも膜下出血を疑わせる症状は出ておらず、また、前記のとおり、右両日の診察の時点においては、突発的でこれまでに経験したことのない激しい頭痛があったことを窺わせる訴えをしていない。

したがって、仁田原及び黒川両医師が、右臨床所見からくも膜下出血の疑いを持って診断することは困難であり、くも膜下出血を診断しなかったことはやむをえない。

ところで、くも膜下出血はその発作時やその直後が内科的診断に最も適しており、その時期を逃すと、しばしば診断が困難となり、ましてや患者からの激しい頭痛の訴えがない場合には、診断は著しく困難となるのであり、本件においては、発作の翌日(五日)の救急外来時には、くも膜下出血の所見は不明瞭となっており、さらにその翌々日(七日)では臨床所見からくも膜下出血を診断することは極めて困難であった。

このようにくも膜下出血を疑わせるものがない臨床所見で、あえて患者に対する侵襲や苦痛の度合いが高く、また危険性を伴う腰椎穿刺を実施するか否か、また当時、被告病院に一台しか存在しないCTを本件において使用するか否かは、臨床医の裁量の範囲内の行為というべきであり、すべての頭痛患者に対し、くも膜下出血を疑ってCTを撮ることはあり得ず、前記医師らが腰椎穿刺を行わずに感冒の疑いと診断し投薬のうえ、自宅安静で様子をみたことはやむをえなかった判断である。

よって、同医師らに注意義務違反は認められない。

(2)① 同(二)(1)は争う。

本件については、本件時の昭和五九年当時の医療水準が問題とされるべきである。

当時の医療水準では、破裂脳動脈瘤によるくも膜下出血の手術適応の時期については、早期(三日目までの)手術か晩期(一四日以後の)手術かは論争のあるところでもあったし、当時としては、まだ決して脳神経外科医の総意が得られた訳ではなかった。

すなわち、くも膜下出血と確定診断されても必ずしも直ちに早期手術を行うかは確立しておらず、二週間位して行う待機手術も医師の裁量として認められていたというべきである。

また、脳血管攣縮はくも膜下出血を起した脳動脈瘤患者の約五〇パーセントに発生し、さらに手術の発達した今日においても、脳動脈瘤手術患者の約一〇パーセントが遅発生脳血管攣縮のため恒久的神経脱落症状をきたしているのであって、原告らが主張するような早期手術や脳底部髄液槽の血塊を除去したからといって脳血管攣縮を一〇〇パーセント防止しえるものではない。

② 同(2)は認める。

③ 同(3)は争う。

二月一〇日の診断で重症度がグレードⅡないしⅢであったからといって、二月五日ないし同月七日の時点での段階がそれよりもグレードが軽かったとはいえない。

ⅰ 臨床医である外山医師の所見によれば、くも膜下出血の診断としては、発作時やその直後が内科的診断に最も適した時期であり、その時期を逃すとしばしば診断が困難となるところ、二月一〇日時点では症状は変わっていなかったというものであるから、二月五日や七日の時点の方がグレードが軽いとは言えない。

ⅱ 仮に、グレードが軽かったとしても、原告準三は、当時満七四歳という高齢であったため、六〇歳未満の者と同じ手術結果が得られる保障は全くなく、むしろ、ジュリアトリック・ニューロサージェリー(老年脳神経外科)二巻における「高齢者破裂脳動脈瘤の特徴および手術療法の検討」の研究報告(以下「報告書」という。)によれば、昭和五九年一月から平成元年一月までの六〇ないし六四歳の準高齢者の破裂動脈瘤患者と六五歳以上の高齢者のそれとを比較検討すると。高齢者群での転帰不良例の分析からでは、やはり一次侵襲からの回復力の不良及び全身合併症、肺合併症による転帰不良例が準高齢者群と比較しても多い傾向にあり、高齢者の脳および全身臓器の予備能力およびその回復力の低下が示唆されている。したがって、右報告書の結論からすれば、原告らが主張するような「六〇歳未満の者と遜色ない手術結果が望めた」はずはないと言わなければならない。

ⅲ さらに、右報告書の「高齢者破裂動脈瘤の重症度分布および手術時期」の項(4の1)によれば、「手術時期に関する検討においては、急性期根治手術例が準高齢者群(六〇〜六四歳)では五四パーセントを占め、六五〜六九歳では三九パーセント、七〇〜七四歳では三一パーセントで漸次、有意に急性期直達手術例は減少しており、七五歳以上の急性期直達手術例は認められなかった。」とある。

また、甲第九号証の一九八頁「4、外科的療法の適応」においても「七〇歳以上の三群及び四群は待機手術を行うのが一般的である。」としている。

ⅳ 原告らは、発症直後の早期手術により本件精神症状の発生が防げたと主張するが、原告準三は、当時、満七四歳であったから右報告例等からしても早期直達手術の限界であったことが認められ、しかも高齢からくる脳の可遡性や弾性の低下、神経細胞の回復力の低下等から転帰不良例が高率を占めることからしても、右原告らの主張は失当である。

④ 同(4)は争う。

(3) 同(三)は争う。

(六)(1)  同6(一)は争う。原告準三の精神症状は、脳血管攣縮の発生又は脳内血腫の形成によって発生したものとはいえず、また早期手術によっても脳血管攣縮を防止しえたとはいえない。

① 原告準三が手術直後から精神症状を発症した原因は、原告準三が当時満七四歳の高齢者であったことによる脳自体の膽弱性や予備能力及び回復能力が低下していたところに、脳動脈瘤の手術に当り、脳動脈瘤の向きが左後上方向にあって、脳動脈瘤が奥にあったことから、脳動脈瘤の頸部を露出する際に右直回(前頭葉底面右内側部分)の一部を吸引除去したことに加えて、脳ベラで前頭葉をより圧排することによる前頭葉の挫傷によるものである。

② しかし、前頭葉をより圧排し、しかも直回(前頭葉底面右内側部分)の一部を吸引除去しなければ、動脈瘤のクリップする頸部を露出しえなかったのであり、また右手術は致命的となる恐れのある再出血を防止するために止む得ない手術であり、本件のような直回一部吸引除去による方法は、脳動脈瘤の向きが左後上方向きにある場合の手術方法としては、一般的に認められている。

③ また、前記精神症状は、手術後の脳血管攣縮や水頭症あるいは老人性疾患の影響等が加わった可能性もある。

④ さらに仮に早期手術を行ったとしても、前記のとおり、原告準三の当時七四歳という高齢と脳動脈瘤の位置や部位からくる手術の困難性から、原告準三の精神症状が発生したといえ、今日においても、なお脳血管攣縮は一〇〇パーセント防止しえない状況にある。

したがって、早期手術を行えば、脳血管攣縮は防止しえたとは言えない。

⑤ よって、原告準三の場合は、仮に早期手術が行われていても、あるいは二週間位経過したのちの待機手術があったとしても、いずれも精神症状が発生したといえる。

(2) 同(二)は認める。

(3) 同(三)は争う。

精神症状は時間の経過とともに軽快し、生活に支障を与えるほどの精神症状の残存は比較的少ないとの点については、脳の予備能力や回復力が十分にあり、老人性痴呆などの老人性疾患などがない年齢の疾患の場合に当てはまるのであって、本件原告準三のように満七四歳の高齢者の場合について当てはまるものではない。

本件のように永久的に強い精神症状が残存するのは極めて例外的であるとの点については争うが、その余は認める。

(4) 同(四)は争う。

早期手術か待機手術かは争いのあるところであり、平成二年に改訂された南山堂医学大辞典によれば、手術の時期については国際研究が終了した現在も有意の差を持ってどの時期がよいという結論はでなかったとされ、また、論文等に照らしても、本件が問題となっている昭和五九年当時も、必ずしも早期手術によるものとする考えが医療水準に達したものとはいえない。

(七)  同7は争う。

2(一)  予備的請求原因1は、主位的請求原因1ないし4、同6及び7の答弁のとおり。

(二)(1)  同2(一)は、主位的請求原因5(一)及び(二)の答弁のとおり。

(2) 同(二)は争う。

(三)(1)  同3(一)は、主位的請求原因8(一)の答弁のとおり。

(2) 同(二)は争う。

三  被告の抗弁(消滅時効の抗弁)

1  原告準三の痴呆症の出現は、昭和五九年二月一〇日の脳動脈瘤手術直後に発症したものであって、遅くとも同年三月三一日に被告病院を退院した時点で右症状が固定したといえる。

よって、原告らの主位的請求(不法行為)については、右症状固定から三年が、また予備的請求(債務不履行)については、一〇年が経過している。

2  被告は、原告らに対し、平成六年九月三〇日本件口頭弁論期日において、右時効を援用する意思表示をした。

四  抗弁に対する原告らの答弁

争う。

1  不法行為に基づく損害賠償請求の消滅時効の起算点は、被害者またはその法定代理人が損害及び加害者を知りたる時であるが、原告準三においては、本件医療過誤により精神症状を起こしていることから、損害の発生及び加害者が被告であることを知らず、消滅時効は進行していない。

また、原告宏及び同範子においては、損害及び加害者を知ったのは、平成六年四月二七日の証拠保全により準三のカルテ等を入手し、精神症状の発症が被告病院の診断ミスによることを知った時である。

よって、時効時期はいまだ経過していない。

2  債務不履行に基づき損害賠償請求権の起算点は、原告らが被告に対し損害賠償が請求できるようになった時点であるところ、右時点は平成六年四月二七日の証拠保全により原告準三のカルテ等を入手し、精神症状の発症が被告病院の診断ミスによることを知った時である。

よって、時効期間はいまだ経過していない。

五  原告らの再抗弁(消滅時効の中断)

仮に、時効の起算点が昭和五九年三月三一日であるとしても、原告らは、被告に対し、平成六年二月一〇日、本件損害賠償債務の履行を催告し、同年八月四日、新潟地方裁判所長岡支部に対し、右損害賠償請求の訴状を提出した。

六  再抗弁に対する被告の答弁

争う。

第三  証拠

本件記録中の証拠関係目録の記載を引用する。

理由

一  主位的請求原因1(一)は成立に争いのない甲第一ないし第五号証により認めることができ、同(二)は当事者間に争いはない。

二  同2(原告準三の症状及び被告病院での診察経過)及び同3(その後の症状)について判断する。

当事者間に争いのない事実、成立に争いのない甲第五ないし第七号証、成立に争いのない乙第六号証、第八号証ないし第一二号証、証人黒川和泉、同外山孚の各証言及び原告井上宏の本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  原告準三は、昭和五九年二月四日午後二時ころ、新潟県長岡市所在の大手通りのアーケード街を自転車を引いて歩行していた際、突然倒れ、嘔吐し、当時居住していた同市日赤町三丁目六番四号所在の自宅に歩いて帰ったが、後頭部に痛みを訴え、家でも嘔吐したことから、同日午後三時ころ、同市内の主治医の大森医師の往診を受けた。

2  原告準三は、同日は安静にしていたが、後頭部に痛みがあったため、翌五日(日曜日)午前一一時三五分ころ、原告宏及び富美子に連れられて、自宅近傍の同市日赤町二丁目六番一号所在の被告病院の救急外来を訪れ、休日当直医師であった仁田原医師の診察を受け、仁田原医師が診察したところ、原告準三の握力は右二五キログラム、左二二キログラムと左右に差はなく正常であったが、血圧は一七二/八〇、体温三七度の微熱で、咽頭に発赤が認められたことから、同医師は感冒の疑いとの診断をし、原告準三に対し、風邪薬(PACPB、院内総合感冒薬)を投与するとともに、自宅療養と翌二月六日(月曜日)の被告病院の内科外来受診を指示した。

同医師が作成したカルテの現病歴欄には、「後頭部およびその周辺疼痛」、「嘔気嘔吐三回」、「今朝嘔気(一)嘔吐(一)」、既往症・家族歴欄には、「鼻中隔手術」、「前より高血圧時々薬剤内服」、「糖尿病指摘されたことなし」、その他、「脈拍…98/分」、「咽頭…発赤」、「心…(落ちついている)安静心音清」、「胸部…所見なし」、「腹部…平坦軟」「血圧…一七二/八〇」との記載がある。

3(一)  原告準三は、その後、自宅療養していたが、翌六日も病状に変化がなく微熱があるままぐったりした状態であったことから、同月七日(火曜日)の午前中、原告宏及び富美子に連れられて、再び被告病院を訪ね、新患外来の内科担当の黒川医師の診察を受けたが、右診察に際しては、一人で付添人なく診察室に入り、同医師の問診に対し、言語は明瞭に、後頭部痛、頸部痛及び嘔吐を訴えたが、その際、突発的でこれまで経験したことのない強い頭痛の症状を訴える言動はなかった。

また、後頭部痛、頸部痛の原因に関しては、「今年は雪仕事が多かった。」旨述べ、血圧測定の際のベットの寝起きなどの挙動も正常であった。

右診察の際には、原告準三及び同宏ら家族からは、同医師及び看護婦に対し、二月四日に大手通りを歩いていたところ突然倒れたこと及び往診した大森医師から脳に関する重大な疾患があると言われたこと等についての申告はなかった。

(二)  そこで、同医師は、まず同月四日におけるカルテの記載から、当日診察した仁田原医師が感冒を疑ってその応急処置を行ったものと解釈し、原告準三が頭痛を訴えていたため、その原因と考えられるものとして、第一に感冒を、第二に年寄で血圧が高いことから起こりうるものとして、脳血管障害、心臓血管障害いわゆる動脈硬化症を伴う疾患、さらに第三に雪仕事による筋肉疲労を想起した。

そして、嘔吐に関しては、原告準三から二月四日より三、四回嘔吐があった旨の申告があり、前記仁田原医師作成のカルテの記載によれば嘔吐は三回とあるから、二月四日の時点で三、四回嘔吐があり、その後の嘔吐は一回にすぎないものと理解し、軽快していると判断し、また原告準三からは、強い頭痛の訴えはなく、頸部硬直などで顔を苦痛で歪める様子がなかったことから、頭痛についても軽快していると判断した。

さらに、同医師は、感冒からくる感染症として肺炎などの併発がないかを確かめるため、胸部X線撮影を行ったが、この点についても異常は認められなかった。

(三)  次に、同医師は、動脈硬化症を伴う脳血管障害、心臓血管障害についての検査を行うことにし、赤血球、ヘモグロビン、ヘマトクリット、白血球、ナトリウム、カリウム、BUN、コレステロール、ALP、GOT、GPT、LDH及びCPK等についての血液検査及び高血圧からくる動脈硬化症状を診断するための心電図検査の依頼をしたが、原告準三には前記のとおり強い症状が認められなかったため、とりあえず検査のみを行い、自宅安静の上の経過観察とすることにし、後日に判明する検査結果をみたうえで、その後の治療を判断することにした。

(四)  ところで、乙第六号証のカルテの各欄には数値の記載があるが、数値は同月一〇日に原告準三を診察した金子医師が書き込んだものであり、右検査結果によれば、異常は認められない。

(五)  このように、黒川医師は、原告準三の二月四日以降の症状や咽頭に発赤がみられ、また嘔吐があることから、消化器の症状が強い感冒のほか、胃腸炎の合併を疑い、さらに血圧が最高値一六四、最低値八六であったことから高血圧を認め、カルテ傷病名の部分に、「胃腸炎、高血圧」と記載し、右所見に基づき、胃炎治療剤コランチル、胃潰瘍治療剤ガストロピロール、整腸剤ラックB、高血圧治療用の利尿降圧剤フルイトランの各内服薬を、あわせて雪仕事による筋肉痛に対するものとして、筋肉痛消炎、鎮痛剤の塗布剤であるゼラップを投与し、自宅安静を指示した。

4(一)  原告準三は、その後も、自宅において安静にしていたが、病状には変化がなく、微熱があるままぐったりとした状態であったことから、同月一〇日(金曜日)の午前中、原告宏及び富美子に連れられ、再び被告病院の新患外来内科において、金子医師の診察を受けたが、その際、原告宏らが、同医師に対し、原告準三は同月三日、大手通へ自転車で出ていて、急に頭痛と嘔気と嘔吐があったこと、同月五日及び同月七日に外来で受診したが、その後も嘔気、嘔吐、食欲不振があり、頸部から後頭部の疼痛が激しいことなどを訴えた。

同医師が作成したカルテには、「2、3大手通りへ自転車で出ていて突然嘔気、嘔吐+、頭痛+、嘔気なお少々、頸部〜後頭部範囲の疼痛、やせ(ルイソウ)+」等の記載がある。

(二)  そこで、金子医師は、右訴えと原告準三の症状が一週間変化のないことに疑念に持ち、診察したところ、原告準三は、四肢の運動に制限はないが、瞳孔左右同、対光反射正常、頸(項)部硬直±、胸腹部異常なく、浮腫(一)、深部反射全体的に(低下)、反射左右差(一)、病的反射(一)の所見であり、さらに目がちかちかするとの訴えから、さらに脳血管障害を疑い、腰椎穿刺を行ったところ、初圧が三五〇mmH2で四mlを抜き二〇〇mmH2となったが、正常時は無色であるところの髄液が血性で、くも膜下腔に血液が流れているとの疑いが持たれたため、くも膜下出血の疑いと診断し、併診依頼を同日脳神経外科に対し提出し、原告準三を脳神経外科に転科させた。

このような原告準三の主訴及び同医師の所見は、同医師の作成したカルテ及び同日付の併診依頼に記載されている。

5(一)  原告準三は、脳神経外科において直ちに診察を受けたところ、血圧最高値一三二、最低値七八、脈拍七二、意識は清明、精神症状やや反応が鈍く、瞳孔の大きさは左右同、対光反射左右とも遅く、眼底出血(一)、頸部硬直(一)、ケルニッヒサイン+、フォーカル・サインなしと診断され、また当時、被告病院に一台しか存在しなかったCTを使用して検査を行い、加えて、脳血管撮影(CAG)及び椎骨動脈撮影(VAG)などの検査を行ったところ、同人には、脳底の大脳動脈輪(ウィリス輪)部の右A1A2結合部(前大脳動脈の水平に走るA1部と大脳間裂を垂直に走行するA2部の結合部)に後左上方向きのドームをもつ動脈瘤の存在が認められ、脳動脈瘤患者の重症度としては、グレードⅡないしⅢと認められた。

(二)  そこで、被告病院は、前記CT、脳血管撮影(CAG)及び椎骨動脈撮影(VAG)、血液検査、生化学検査、麻酔問診など検査結果をうけ、原告準三に対し、脳外科医師の外山医師の執刀により、右前頭側頭開頭術による動脈瘤結紮術(クリッピング)及び硬膜形成術の緊急手術を行うことにし、それに先立ち、外山医師は、原告宏に対し、原告準三の症状が前交通動脈瘤の破裂による出血であること、再出血防止のためクリッピングの手術が必要であること、さらに動脈瘤の方向が左後上向きと難しい方向にあって、そのため術後に精神症状が出る恐れがあること、その他の合併症について説明したうえ、右手術の承諾書の提出を得て、同日午後七時五分から翌一一日午前零時四〇分ころまで、前記緊急手術を行った。

右手術は、原告準三の動脈瘤の向きが左後上方向きであったため、動脈瘤の頸部を露出するために右前頭葉底面内側の直回の一部を吸引除去したうえ前交通動脈に認められる動脈瘤をクリップで止める(クリッピング)ことで終了した。

(三)  ところで、原告準三の被告病院において診断を受けるまでの経緯のうち、二月四日について、長岡赤十字病院入院診療録脳外科(乙第七号証)の病歴欄には、「自転車にのっていて急に頭痛、めまい、嘔気、意識消失(一)、家まで歩いて帰る。家で嘔吐あり。大森医師往診、くも膜下出血の診断」との記載があり、また同診療録の現症欄には、「自転車に乗っていて急に頭痛、めまい、嘔気あり、家まで歩いて帰る。家で嘔吐あり。大森医師の往診、くも膜下出血なので日赤に行けと言われた。」との記載がある。

(四)  右開頭手術は成功し、原告準三は神経学的には回復したが、手術後の同月一一日から、傾眠傾向であり、時々大声を出して騒ぎ、失見当識が認められる精神症状(脳血管性痴呆症、いわゆるボケ症状)が出現した。

原告準三は、前記ボケ症状のため、外部からの呼びかけなどに対して反応ができないものの、聴力はあり、医師、看護婦等の区別もできており、人の区別は可能であった。

被告病院は、同月一三日、原告準三に対しCT検査を行ったところ、右頭頂葉、前頭葉に低吸収域があり、また脳血管撮影をしたところ、中大脳動脈に軽度の脳血管萎縮が認められたため、これに対処する治療を行い、その後、原告準三は、精神症状が固定したことから、同年三月三一日に被告病院を退院し、同年四月一三日から訴外田宮病院(精神科)に転院して加療を続けた。

(五)  原告準三は、同年八月二日、被告病院の外来受診において、CT検査を受けたところ、脳室拡大と脳室周囲に低吸収域が認められ、正常圧水頭症の疑いのため、同月一三日被告病院に再入院し、同月二三日、V・Pシャント術(脳室―腹腔シャント術)を受け、同年一一月七日退院し、その後再び訴外田宮病院に入院しているが、現在においては、痴呆がひどく常時介護がなければ生活できない状況にある。

三  同4(くも膜下出血の病理機序、治療法、一般的予後)について検討する。

当事者間に争いのない事実、成立に争いのない甲第八号証、原本の存在、成立ともに争いのない甲第九号証ないし第一一号証、成立に争いのない乙第一号証、第五号証、第一二号証、第一四号証、証人黒川和泉及び同外山孚の各証言によれば、次のことを認めることができる。

1  くも膜下出血は、くも膜下を走る動脈分岐部に広範囲な中膜欠損及び内弾力板に断絶が生じ、血脈の負担が加わることにより血管壁が伸展して破裂する病態をいい、その原因として最も多いのは脳動脈瘤であり、くも膜下出血のうちの五〇ないし八〇パーセントを占める。

脳動脈瘤は、脳血管の分岐部壁の中膜欠損部あるいは内弾性板欠損部にストレスがかかり壁の一部が瘤状に膨れたものをいい、右脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血の発生率は、疫学的調査によれば、年間一〇万人あたり一〇ないし一八人と推計され、おおよそ五〇パーセントの症例は初回のくも膜下出血による脳損傷により死亡あるいは重篤な後遺症状を呈し、さらに二五ないし三〇パーセントの症例は脳動脈瘤の再破裂により死亡するといわれる。

そして、脳動脈瘤の好発部位は脳低部の主幹動脈輪前半部であり、その頻度は、内頸動脈(なかでも内頸動脈後交通動脈)、前交通動脈、中大脳動脈分岐部、椎骨脳底動脈となっている。

2  脳動脈瘤が破裂すると、くも膜下腔に血液が充満することになり、それにより頭蓋内圧は急激に上昇し、その結果、脳血流が低下し、脳は虚血性障害を被りやすくなるが、脳動脈瘤の破裂はくも膜下出血に留まらず、脳内血腫、脳室内血腫を形成することがあり、さらに急性期には血腫によりくも膜下腔が閉塞され、髄液の吸収が障害され急性水頭症をきたし、頭蓋内圧の亢進は一層拍車がかかり、何らかの処置を行わないと意識障害が進行し、予後不良となることが多く、また、脳内血腫が形成されると、血腫の形成部位に応じた巣症状(片麻痺、言語障害、精神症状など)を呈することが多い。

脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の患者においては、一五パーセントは病院に到着する前に死亡し、二八パーセントは初回発作による障害のため回復することなく死亡し、一四パーセントは一か月以内の再出血、一〇パーセントは一〇年以内の再出血により死亡しており、結局一〇年後の予後は計二六パーセントが生存し、うち一八パーセントのみ良好な状態にある。

3  破裂後脳動脈瘤の予後を決定するものは、出血による直接的影響(脳浮腫、頭蓋内の亢進)、再出血、脳血管攣縮であるが、破裂脳動脈瘤の治療の根本は脳動脈瘤の再破裂の防止にあり、そのための最も確実な方法は外科的根治手術以外にはないのが現状であり、脳動脈瘤の再破裂は初回発作当日から二四時間以内に最も多いとされ、以後経時的に再出血率は減少するが、発症から四週間以内には六〇パーセント再出血を起こすとされている。

また、脳血管攣縮とは、脳動脈血管が狭小化する病態であるが、その発現にかかる重要な因子は、くも膜下の血腫(赤血球)が溶血することによって放出されるオキシヘモグロビンなどの攣縮誘発物質であろうと考えられているが、この病態は初回発作後四日から一四日目の間に生じ、また脳血管攣縮はくも膜下出血の量が多いほど、発現頻度は増加し、脳虚血症状を呈するのは全体の約三〇パーセントとされ、脳血管攣縮が生ずると、脳は虚血状態に陥り、片麻痺や意識障害が出現し、重篤の場合は死に至る。

4  くも膜下出血の臨床的重症度は、手術適応の決定や予後の判定に重要であるが、術前の重症度を分類する方法として最も広く用いられているのは、ハント・アンド・コスニクの分類から付帯事項を除いたものである。

これによれば、未破裂動脈瘤はグレード0、無症状か、最少限の頭痛及び軽度の項部硬直をみるものはグレード1、急性の髄膜または脳症状をみないが、固定した神経学的失調のあるものはグレードⅠa、中等度から重篤な頭痛、項部硬直をみるが、脳神経麻痺以外の神経学的失調をみないものはグレードⅡ、傾眠状態、錯乱状態、または軽度の巣症状を示すものはグレードⅢ、昏迷状態で、中等度から重篤な片麻痺があり、早期除脳硬直及び自律神経障害を伴うものはグレードⅣ、深昏睡状態で除脳硬直を示し、瀕死の様相を示すものはグレードⅤとされる。被告病院は、原告準三の前記開頭手術時の症状に基づき、その程度をグレードⅡないしⅢと判断していた。

5  くも膜下出血の診断基準は、①突発する激しい頭痛(嘔気、嘔吐を伴うことが多い。)、②髄膜刺激症状(項部硬直、ケルニッヒ徴候、すなわち、髄膜刺激により出現し、患者の下肢を伸ばしたまま上にあげて、躯幹に近づけると痛みのため顔をしかめ、反射的に下肢が膝関節で屈折する現象)陽性、③局所神経徴候をみることは少ない(ただし動眼神経麻痺を呈することがある。)、④発症時に意識障害をきたすことがあるが、しばしば一過性である、⑤血性髄液、⑥網膜前出血という六つの基準が挙げられる。

脳動脈瘤の多くは、破裂以前は無症状であるが、本格的破裂の前に頭痛や眩暈の発作がみられる(ワーニングサイン)が、本格的破裂では、突然それまでに経験したことのない激しい頭痛や嘔気に襲われ、意識喪失、項部硬直、局部脳神経症状を伴うが、くも膜下出血が疑われた際、第一におこなうべき検査はCTスキャンであり、CTスキャンで診断がつかなかった場合、次に行うべき検査は腰椎穿刺であり、右検査でくも膜下出血の診断が下されたならば、脳血管撮影により動脈瘤の部位の検索を行う。

6  脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血の治療には、保存的療法と手術的療法とがある。

(一)  保存的療法は手術待機中のものや、根治手術不能例に対して行われ、鎮痛剤を適宜投与し、降圧剤により血圧をコントロールし、抗線溶剤により再破裂を防止する。

(二)  手術的療法には、再出血を防ぐために出血をしてからできるだけ早く手術をする急性期手術(早期手術、以下「早期手術」という。)と、脳血管攣縮(出血後第八病日のころをピークとする)の時期を過ぎて脳の状態が安定した時期(二週目以降)に手術を行う待機手術とに大別される。

早期手術では脳浮腫のために手術は困難で動脈瘤の術中破裂も起きやすいが、再出血を未然に防止でき、また同時にくも膜下血腫や脳内血腫を除去し、脳室ドレナージを設置することにより、頭蓋内圧亢進及び脳血管攣縮に対する処置も同時に行うことができる利点があり、脳底部くも膜下腔の血腫除去により脳血管攣縮の発生を多少防ぐことができるとされている。

他方、待機手術では、手術そのものはやさしくなるが待機中に再出血する場合があり、グレード0ないしⅡまでの患者については、再破裂防止のため早急に手術すべきであるとされ、グレードⅢ以上のものは根治手術を見合せ、脳室ドレナージ等にて患者の状態の改善に努めるべきであるとされる。

右早期手術として根本的な手術法は、動脈瘤柄部を結紮あるいは金属のクリップで閉塞(ネッククリッピング)する方法であり、これができないときには、動脈瘤壁の接着剤による補強(コーティング)、親動脈の結紮、トラッピングなどの方法があり、被告病院は、原告準三に対しクリッピング手術を施行した。

7  各グレードの手術適応

脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血に対しては、できるかぎり早期に手術を行う必要があり、手術時期に関して、グレードⅠ、Ⅱについては、可及的速やかに手術を行うが、グレードⅢ、Ⅳについては、意識障害がある限り血腫を合併していなければ手術を待機する例が多く、東北大学における手術成績によれば、手術時期がくも膜下出血を発症日(以下「day」という。)当日ないし二日内の手術では、自分のことは自分でできる(仕事一部可)以上が七五パーセント、day三ないし七日は、四八パーセントと発表されている症例も認められる。

また、脳神経外科疾患の手術と適応Ⅱ(甲第一一号証)によれば、手術適応を手術で良好な結果を得る意味、あるいは手術を行った後に患者の病態が悪化することを避ける意味からどのような症例を手術するかを、患者の重症度(グレード)、患者の年齢、手術時期及び手術成績から検討した場合、グレードⅤの症例の手術成績は不良であり、グレードⅢ、Ⅳの症例におけるくも膜下出血のdayから三ないし七日における手術成績は、患者に脳血管攣縮が切迫している時期である等の理由でday〇ないし二日の手術結果に比較すると極めて悪いとされる。

また、手術の時期を考慮すると、day〇ないし二日の手術においてはグレードⅠ、Ⅱでは差はみられないが、グレードⅢ、Ⅳでは六〇歳未満と六〇歳以上でそれぞれ有意差が示され、年齢別手術成績によれば、六〇歳以上の結果は良くない。

このようにグレードⅠ、Ⅱでは差がなく、グレードⅢ、Ⅳで手術成績が異なることは、たとえ高齢者であっても手術そのものには耐えられるが、術後意識障害による長期臥床のため、心肺合併症の発生が頻発していることがその原因と考えられる。

さらに、破裂脳動脈瘤の症例において、六五歳以上の高齢者群と六〇歳ないし六四歳の準高齢者群と比較検討すると、高齢者のグレードⅠ、Ⅱでは、準高齢者群と比較しても、その転帰は不良であり、仕事が可能なまでに回復する例が有意に少なく、それは、一次侵襲からの回復力の不良、全身合併症、肺合併症による転帰不良例が多い傾向にあり、高齢者の脳及び全身臓器の予備能力及びその回復力の低下によるものとされている。

8  前交通動脈瘤の手術合併症としては、①精神機能の低下と情動面の変化、すなわち記憶、知能、見当識などの知的能力と、意欲、易怒性などの性格、情動面の変化、②運動機能・言語機能(主に左半球言語中枢の障害)などの身体機能、③視力視野・眼球運動障害などの脳神経障害に大別されるが、この部位の動脈瘤では他の部位の症例に比し、精神・情動面の障害が著しく多いことが認められる。

四  同5(被告病院の過失)について判断する。

1  原告らは、昭和五九年二月五日及び同月七日における診察時において、担当医師の仁田原及び黒川両医師に対し、原告準三の頭痛がひどく体がぐったりしていること、往診した大森医師が原告準三はくも膜下出血か脳梗塞か脳に関する重大な疾患であると診断したことを伝えたにもかかわらず、担当医師らは、原告準三のくも膜下出血の発症を発見できなかったことについての過失を主張し、これに対し、被告は原告準三らから、大森医師の診断内容及び突発的でこれまでに経験したことのない激しい頭痛があったことについての申告はなかった旨反論するので、前記二において認定した事実を前提にして、被告病院における準三に対する診療の過誤の有無について検討する。

(一)  診療契約に基づく被告病院の債務である診療義務とは、医師がその専門的知識、経験を通じて、その当時における医療水準に照らし患者の病的症状の医務的解明をし、その症状及び以後の変化に応じて適切かつ充分な治療行為をなすべき義務をいうと解すべきである。

したがって、診断を誤った場合は、一般的医療水準から考えて誤診に至ることが当然であるかのような場合を除き、債務の履行が不完全であったということができるのであり、また、右診断の誤りはあわせて被告病院の過失をも基礎づける事実となる。

そこで、本件においては、被告病院の担当医師が昭和五九年二月五日及び同月七日における診断時において、原告準三に脳血管障害が生じていることを疑わず、感冒からくる胃腸炎と診断し、その結果、くも膜下出血の発症を見逃したことが、医師に要求される適切かつ充分な治療行為の懈怠に該当するか否かが問題となる。

(二)  ところで、原本の存在、成立ともに争いのない甲第九号証ないし第一一号証、成立に争いのない乙第一二号証、証人黒川和泉及び同外山孚の各証言によれば、くも膜下出血の臨床所見としての診断基準として最大かつ最も重要な特徴は、突発的で今まで経験したことのない激しい頭痛と、これに伴う嘔吐や項部硬直あるいは一過性の意識障害であると認められる。

したがって、原告準三から突発的で今まで経験したことのない激しい頭痛についての訴えがあったにもかかわらず、担当医師がこの点を看過し、脳血管障害が生じていることを疑わず、項部硬直、腰椎穿刺などの検査を行わず、感冒からくる胃腸炎と診断したような場合には、前記診療行為に過誤があったとの疑いが生ずることになる。

(三)  そこで、本件においては、原告準三が、担当医師らに対し、くも膜下出血特有の突発的で今まで経験したことのない激しい頭痛の訴えをしたか否か、大森医師がくも膜下出血か脳梗塞等脳に関する重病に違いないとの診断をしたことについての申告があったか否かが、被告病院の誤診を基礎づける重要な事実となるので、この点について検討する。

(1) 内科診療録(乙第六号証)の金子医師記載部分には、「2。3大手通りへ自転車で出ていて突然嘔気、嘔吐+、頭痛+、嘔気なお少々、頸部〜後頭部範囲の疼痛、やせ(ルイソウ)+」等の記載が、外山医師作成の脳外科診療録(乙第七号証)の病歴欄には、「自転車にのっていて急に頭痛、目眩、嘔気、意識喪失(一)、家まで歩いて帰る、家で嘔吐あり、大森医師往診、くも膜下出血の診断」の記載が、同診療録の現症欄には、「2―4自転車にのっていて急に頭痛、目眩、嘔気あり、意識喪失(一)、家まで歩いて帰る、家で嘔吐あり、大森医師往診、くも膜下出血なので日赤に行けと言われた。」との記載が、同診療録の看護記録A用紙には、「S59.2.4。自転車に乗っていて急に頭痛及び嘔気、嘔吐ありも、意識喪失せず、家まで歩いて帰る。大森医院で往診を受ける」旨の記載がそれぞれなされていることが認められる。

(2) しかし、内科診療録(乙第六号証)の仁田原医師記載部分には、「後頭部およびその周辺疼痛、嘔気嘔吐三回、今朝嘔気(一)嘔吐(一)、咽頭……発赤、血圧……一七二/八〇」等との記載があり、また、内科診療録(乙第六号証)の黒川医師記載部分には、「後頭部痛、頸部痛及び嘔吐、今年は雪仕事が多かった。」等の記載がそれぞれあることが認められるにすぎず、右診療録のいずれにも、原告らから、突発的で今まで経験したことのない激しい頭痛があったことや大森医師からくも膜下出血の診断を受けたことの申告があったことを窺わせる記載は何ら認められない。

(3) また、証人黒川和泉の証言によれば、当日診察した新患外来患者のなかに、くも膜下出血という重大な疾患を持った患者がいたとの印象はないこと、臨床担当医としては、原告準三から、大手通りを歩いていたところ突然倒れたとか、近所の医師の診察を受けたところ、脳に関する重大な疾患があると言われた場合には必ず右出来事を診療録に記載すること、原告準三は診察時において、突発的で今まで経験したことのない激しい頭痛を訴える言動をしていないことが認められる。

また、内科診療録(乙第六号証)の前記金子医師記載部分の内容を検討してみるに、右診療録には、「大手通りへ出ていて突然嘔気嘔吐+頭痛+」など前記黒川証言内容のとおり出来事についての記載があるところからすると、診察を担当した医師は、職務上、患者の申告内容につき、出来事に結び付けて診療録に記載しているものと推認することができ、黒川医師の診療録の記載方法に関する証言は十分に信用することができる。

してみると、原告らが仮に原告らが主張する訴えをしていれば、当然に診療録にもその旨の記載があるべきものと十分推認することができるのにこれがないこと、加えて、救急外来の受付記録(乙第九号証の一、二、三)には、他の救急患者に記載が認められるところの、大森医師紹介との記載がないことなどを考慮すると、本件において、原告準三からは、突発的で今まで経験したことのない激しい頭痛の訴えや、大森医師の診断内容についての申告はなかったと言わざるを得ない。

(4) もっとも、前記外山医師作成の脳外科診療録(乙第七号証)並びに内科診療録の他及び併診依頼(乙第六号証)の金子医師記載部分には、「自転車で大手通りへ出ていて、急に頭痛、嘔気、嘔吐出現」との記載がそれぞれ認められるが、金子医師記載部分は金子医師が原告準三の吐き気と頸部から後頭部にかけての疼痛が一向に軽快しなかったことに疑念を持ち、原告らに症状の経緯を尋ねるなかで明らかになった事実を記したものと認めることができるのであり、また、外山医師作成の脳外科診療録も、金子医師からの併診依頼を受け、原告らから事情聴取した結果など知りえたことを記載したものであり、金子及び外山両医師作成の診療録等に頭痛、嘔気、嘔吐があった旨の記載がある一事を以て、前記仁田原及び黒川両医師に対しても、原告らから右記載内容であるところの頭痛、嘔気、嘔吐出現をこえ、突発する激しい頭痛についてまで申告があったことを推認することはできない。

また、訴外田宮病院の医師田宮崇作成の診断書(甲第七号証)には、「五九年二月四日突然頭痛嘔気あり」との記載があるが、右記載にも突然との記載があるのみで、突発する激しい頭痛についての申告についてまでの記載はない。

しかるに、証人黒川和泉の証言によれば、患者が疾病の発生に関わる経緯等について申告する場合、臨床医は必ず右事項を記載することが認められ、右証言の結果と前記被告病院の各医師が作成した診療録等の記載内容を照らしあわせると、診察を担当した医師らは患者らから受けた症状についての申述内容を正確に記載しているものと認めることができる。

(5) さらに、原告宏は、仁田原医師及び黒川医師らに対し、診察室において、大森医師の診断内容及び原告準三の頭痛、嘔気を訴えている症状について申告したと供述するが、そもそも二月四日に大森医師から原告準三が脳に関する重大な疾患に罹り、直ちに被告病院に行くよう勧められたというのであれば、原告準三らは、その時点で、近隣の被告病院を訪ねるべきところ、右行動をとることもなく、翌五日の午前一一時三五分ころ、しかも多くの医療業務従事者が休みとなる日曜日に被告病院を訪ねていること、仁田原医師に対し、脳の検査を依頼せずに帰宅していること、仁田原医師の翌日に再び診察を受ける旨の指示に従わずに、同月七日に黒川医師の診察を受けていること、黒川医師の診察においても脳の検査を依頼することなく帰宅していることからすれば、原告らには脳に関する重大な疾患である旨の認識はなかったものと認められ、加えて、証人黒川和泉の反対趣旨の証言に照らすと、原告宏の供述はたやすく信用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(6) よって、原告準三及び同宏らが主張するような、担当医師に対し大手通りを歩いていたところ突然倒れたこと及び往診した大森医師から脳に関する重大な疾患があると言われたことなどについて申告した旨の事実を認めることはできない。

2  原告らは、原告準三は、前記日時のいずれの診察の際においても、後頭部や頸部の痛み、嘔吐及び嘔気を訴えるなどして、くも膜下出血を疑わせる症状が発現していたのであり、また、高齢者の場合、高血圧も脳血管障害の要因となりうるから、本件においては、当然くも膜下出血を含めた脳血管障害を疑うべきであって、この場合、髄膜刺激症状(項部硬直、ケールニッヒ徴候など)などについても所見をとるべきであったが、被告病院の両医師は、脳血管障害を疑わず、項部硬直に関する検査もせず、漫然と感冒からくる胃腸炎の疑いと誤診してくも膜下出血を見逃した旨主張するので、この点について検討する。

(一)  ところで、医師(臨床医)は、所定の資格を取得して直接人の生命及び身体の安全にかかわる重大な責任を伴う医療業務に従事するものであるから(なお、医師法第一条、第二条参照)、患者の病状、病名の診断に際してはもちろんこれに基づく治療のための処置(手術、投薬等)についても、それらにより人の生命及び身体の健全性を害するに至る可能性が常に存在するものである以上、通常人に比し、高度の注意義務(実験上必要とされる最善の義務)を要求されているというべきであるが、診断ないし治療時におけるわが国の医学知識ないし治療技術の水準等からみて、医師として当然なすべき注意義務を尽くしている場合には、たとえ診断やそれに基づく治療の結果、予期した成果をあげることができなかったとしても、右結果について、医師またその使用者がすべて民事責任を負うことはないと解するのが相当である。

また、くも膜下出血の診断基準として、前記三5に認定したとおり、突発する激しい頭痛(嘔気、嘔吐を伴うことが多い。)などの基準が挙げられるのであるが、激しい頭痛を訴え、前記基準に当てはまる場合には、医師は、CT検査、腰椎穿刺などを行うなどして、総合的、多角的な診断を進める必要があるといえるが、激しい頭痛を訴えていないような場合にまで、現在の医学において認められている可能な診断方法をすべて講ずるよう要求することは不可能であり、診断方法(治療方法についても同様である)の選択については、いわゆる医師の裁量性を否定することはできないと解するのが相当である。

(二)  そこで、本件において、被告病院の各医師が、診断ないし治療時において当時のわが国の医学知識ないし治療技術の水準等からみて、医師として当然なすべき注意義務を尽くしていたといえるか否かを検討するに、証人外山孚の証言によれば、くも膜下出血はその発作時やその直後が内科的診断に最も適しており、その時期を逃すと診断が著しく困難となること、本件当時においては、突発する激しい頭痛を訴えていない患者に対し、高齢であるとの理由から、くも膜下出血や脳内出血を疑って、常にCT検査や腰椎穿刺などを行うという慣習はなかったことが認められるところ、本件においては、前記四1において認定したとおり、原告準三からは、突発的で今まで経験したことのない激しい頭痛の訴えは認められないのであって、発作の翌日(五日)の救急外来時及びその翌々日(七日)では臨床所見からくも膜下出血を診断することは極めて困難であったものであり、患者からの激しい頭痛の訴えがなく、くも膜下出血を疑わせるものがない臨床所見で、あえて患者に対する侵襲や苦痛の度合いが高く、また危険性を伴う腰椎穿刺を実施するか否か、また当時、被告病院に一台しか存在しないCTを本件において使用するか否かは、臨床医の裁量の範囲内の行為というべきであり、すべての頭痛患者に対し、くも膜下出血を疑ってCTを撮るということはあり得ず、前記医師らが腰椎穿刺を行わずに感冒の疑いと診断し投薬のうえ、自宅安静で様子をみることとしたことはやむをえなかった判断というべきである。

3 そこで、以上の事実を前提とすると、仁田原医師及び黒川医師が、原告準三の各症状を感冒の疑い、高血圧症または胃腸炎などと診断し、既往症を踏まえ、総合感冒薬、胃炎治療剤、利尿降圧剤などを投与し、経過観察とすることにした診療行為は不相当とはいえず、医師としての注意義務違反はなかったものというべきである。

その他、被告病院に診療契約において不法行為及び債務不履行があったとの事実を認めるに足りる証拠はない。

五  結論

以上検討のとおり、原告ら主張の被告病院の診療行為の過誤の主張は、いずれも理由がないものであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

よって、原告らの請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三浦力 裁判官井上一成 裁判官片岡武)

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